地震で停電した時ってかなり朝というか夜っぽい時間だった。普段あまり寝られないし、なんとなく起きてることが多くて、二度寝とかあまり出来ないし日中に眠気で頭が痛くなることがある。そんなオレがその日に限って普通にしっかり寝てて、「いやマジかよ、地震かよ」と起こされてイラッとしたものの、あぁ会社に積んであるお客さんから預かったストーブ倒れてるだろうな。もういいや、保険入ってるしどうせ今日は地震で仕事にならないだろうから、明日電話して謝って保険屋さん呼んで賠償とかしてもらってと。電気も使えないしさ世間も休むでしょ。この時に何かが吹っ切れたのだろう。普段はこんな時寝られないのにめっちゃ寝られたのだ。
電話の呼び出し音が鳴るのがなんか騒々しくて煽られてるよな感じがして常にマナーモードにスイッチを入れている。そのせいで電話に気がつかない時もあるが、そんな時は作業をしていることが多いからそもそも電話には出ない。珍しく快眠な二度寝をしていると、うっすらと少し明るくなった頃バイブレーターの震動音が伝わってきた。ああ。電話か。何秒かかったろうか、気がつくのにしばらくかかるほど熟睡していたのだ。
「会社着いたんだけど大丈夫です!」と川田の声
えっ?信号機も動いてないのに運転して会社まで来てくれたんだ。とっくに諦めて保険でなんとかしようとしてたし、全部ストーブ壊れてて全部新品に入替になったら儲かるかなぁとか考えてスッキリ寝てたオレは、ロープに振られて三沢のエルボーをアゴにクリーンヒットを食らったような衝撃だった。今風に言うとレインメーカーかもしれない。本来であればオレがそうしなければいけないのだ。だたこの時はもう世界の終わりだ、地ならしが始まって一回リセットされるんだ、なんだったらノストラダムスの予言が遅れてやってきて路頭に迷うんだろうくらいの、世紀末感あふれるマッドマックス2のイメージで生活することまで、ぼんやりと想像してたんで、会社が何も損害がなく良かったような、少し残念な気持ちになったのは今だから言えることかもしれない。とりあえず今日は休みねって伝えてもう一回寝た。
朝食が出来て起こされたのか、いい匂いで起きたのか、一回会社に行ったような記憶もあってこの辺は曖昧だけど朝食を食べた。
家を建てる時に絶対に外せない項目があってその一つがガスコンロだった。炊飯器もガス。ガスの点火も電池式で、電気がなくても普通にご飯は炊けるし調理も出来るのだ。停電になってみてガスコンロの良さがわかる。まあカセットコンロと土鍋があればご飯は炊けるよね。ただ魚焼きグリルとご飯と味噌汁と調理を時間差なく出来るのは、煮炊きをガスにして良かったところだ。なぜガスコンロにしたかというと、鉄鍋を煙が上がるくらい熱して作るチャーハンや、鋳物の分厚いフライパンで焼くラム肉を食べたかったからで、防災を意識してガスコンロにしたわけでは無いが、ガスにして良かったアピールは家の中でかなりしつこくしてたと思う。
めちゃくちゃ天気が良くて暑かったのは覚えている。ビニールプールを出して水浴びをし洗車をしたようなしないような、なんか水で遊んだようなのを思い出した。外に入れば電気が無いことなんて気にはならないのだ。とは言っても電気のある生活に慣れきってしまった現代人にとって、電気のない生活は不便というか、電気のない今、電気のある生活を思い出せず、電気のあるように生活をしていまっている。たとえばトイレに座ると暖房便座が冷たくてヒュッとなるでしょ、おしり洗浄機能使えない、洗面もお風呂もお湯出ない、水で頭洗ってもドライヤーダメ、冷蔵庫も、洗濯機も…。一番はスマホの充電よね。車のエンジンかけてシガライターから充電してた。なぜスマホなのか?もう、圧倒的に脳に情報が足りてないの。うちの子あたりはもう極度のデジタルっ子でテレビでユーチューブ見てタブレットで絵を描きながら、Nintendo Switchやるような気持ち悪さで、コレだけ日常的に情報を取り込んで流れ作業的に絵を描きゲームをし、膨大なインプットとアウトプットを繰り返しているのに、ビタッと情報が遮断されると極限に脳がカラカラに乾いて圧倒的に情報という潤いが欲しくなるだろう。デジタルの情報こそ麻薬なのだ。それが大人でも同じことでガソリン燃やしてでも6インチそこそこから流れてくる麻薬のような情報が欲しくてたまらない。その中でも市役所や友人、知人の安否が確認できるSNSでの情報が欲しいのだ。
中学の時、同期だった室蘭に住んでいない友人が室蘭の実家の父親と連絡が取れないとSNSで発信していた。電話が鳴らないみたいで、当時会社休みで天気良くてめっちゃヒマで骨折で体持て余してて、家知ってたもんだから自転車で友人の父親に会いに行ってみた。とても元気で被災もされてなく普通に暮らしている様子でしたので、友人とお父さんをSNSの通話機能で6インチそこそこの機械でお話をしてもらった。とても喜んでもらい後日菓子折りをいただきました。なんか申し訳ないと思い、こんな出来事があったんだと母親に話した。その時にその人にとってはそれだけ重要なことだったんだよと言ってもらい、ちょっとしたおせっかいというかオレにとっては回覧板を渡しに行ったくらいの気分だったので、お菓子をもらった罪悪感がなくなったで良かった。
信号機も動かないしガソリンスタンドも電気がないと給油できないのだ。
停電2日目にもなると、ガソリンスタンドでも発電機でポンプを回して営業するようになる。そんなガソリンスタンドには長蛇の列が現れるから、300メートル手前から営業しているのがわかる。コレが世紀末20XX年の争奪戦の世界始まりだと思った。
近所のセブンイレブン。世紀末20XX年の争奪戦に出遅れて、負けたオレには食糧や水は与えてもらえなかった。あのハイエナのようなモヒカンバイク達が根こそぎ強奪していったのだろう。いやしかし欲しかったのはこれではないのだ。
日中ヒマで友人の実家やガソリンスタンドや街中を、車や自転車でパトロールして回ったら、もう夕焼けの頃にのどが乾くのは火を見るよりも明らかだ。こんだけあれば争奪戦の世紀末でもしばく困らない。というか、なぜビールが売れないのかがわからん。あの食料費を強奪するモヒカンバイク達は飲酒運転はしないってことなのだろう。二日酔いも入れると一年に367日ビールを飲むオレにとっては、この信じられない状況がオアシスに感じて仕方がなかった。モヒカンバイク達に感謝しかない。水は水道から出るし、米も食材もたまたま買い込んでて困らない。でもビールだけはストックがなかったから助かった。そしてなぜかここのコンビニのビール冷えてたことに歓喜し、モヒカンバイク野郎のごとく雄叫びをあげ、慣れた動作でプルタブを勢いよく開けた。
そして夜は揚げ物。冷蔵庫もだんだん温くなってきて食材の鮮度が怪しくなる前に調理してしまう。日中走り回ったし、ビールも揚げ物もたくさんでジェルキャンドルもあるし楽しい夜。子育てを応援するイベントをやってたもんで、いろんな人に出会わせてもらってたくさん協力してくれる人がいて、その中でも最初からずっとお世話になっていたジェルキャンドル。こんな時じゃなくて、もっと楽しい時に使って欲しいとかいわれちゃってね。神棚にローソクがあるのは知っていたしそれを食卓に出しても、電気がない頃の中世とかのお祈りの時間にしか思えない。でもこのジェルキャンドルがあったからこそ、ちょっとおしゃれで可愛くて、暗く不安な長い夜の停電も楽しめたのだと今でも思っている。水とかカセットコンロとかも大事だけどさ、こういう雰囲気を良くしてくれるカラフルなアイテムも災害時には必要なのはテレビでは報道しないのだ。
この地震と停電のおかげで何が足りないかが少しわかった気がする。衣食住が充実しているからこそ、今回の停電はそんなにツラくはなかったのだ。避難所にいるとか、家がなくなった、寝る場所がない、ご飯が食べられないなど、どれかが抜けてもダメ。そして一番良かったのは家族がいたこと、周りに共有できる仲間がいたこと、SNSがあったこと。ツイッターからXに変わってもこの災害時の使いやすさはめちゃくちゃ便利でそこだけは変わってほしくない。
今回はね、というかこの停電当時は天気良くて暑くて必要じゃなかった。コレがもし冬だったらと思うともっと大変な災害になっていたし、こんな世紀末ブログも書けなかったろうね。
あっ、そういうわけで、こういう電源を使わない石油ストーブあるといいよ。ポータブルストーブ。電源コード付いてないストーブの名称。ファンヒーターのことポータブルストーブって思ってる人ほとんどなんで買うとには気を付けてね。っていう壮大な売り込みでした。